趣味
今回は僕の趣味についての話をする。
正直、趣味と呼べるほどのことではなく面接で聞かれたら答えられないくらいには趣味らしい趣味は持っていない。
形式上、趣味と呼ばせていただくことにする。
最近の趣味はネコ神社に赴いてお線香をあげることである。
家から少し歩いたところにネコを祀っている小さな神社があり、野良ネコたちも知ってか知らずか数匹住み着いている。
その神社とは何の関わりもないが、祀られているネコたちが少しでも安らかに、今生きている野良ネコたちにとって少しでも良い環境になりますように、と手を合わせに行っている。
自分以外の人間が神社に居るのを見たことはないが、近隣の住民が手入れ等してくれている感じはするので出会すことがあれば挨拶くらいはしようと思っている。
そこに住み着いているネコたちも対象であるが、野良ネコを見つけたら写真を撮るのも趣味だ。
大体の野良ネコはカメラを向けたりこちらが屈んだだけで逃げてしまうが、その方が警戒心が強くて生き延びていけそうだと安心する気持ちもある。
どこで出会う野良ネコたちも、そこの景観や場所に妙に合っていて最高の被写体だと毎回思う。
最近は疎かになっているが、釣りに行ったりもしていた。
引っ越してから海が遠くなってしまい、気軽に徒歩で行けなくなってしまったから。
あまり詳しくないので適当にエサをつけて糸を垂らしたり、ルアーを投げたりしていた。
釣りが目的なのは半分、ひとりで外でぼーっとするのに丁度良い口実だったのもあった。
魚にもそれが見透かされていたのか、単に下手くそだからか、毎回釣果はなかった。
形だけでも釣りをしながら海のにおいを感じられるあの時間は割と好きだ。
ここまでアウトドアな趣味の話だったが、僕は基本的にインドアである。
三日坊主で飽きっぽい性格をしているので続いている趣味は多くないが、映画は定期的に観ている。
邦画よりは洋画が好きで、アクション映画を好んで観ている。
アクション映画以外苦手というわけでもなく、ホラーやコメディやロマンスなんかも観る。
圧倒的にアクション映画の視聴数が多いが。
せっかくアマプラに加入しているので観られる範囲で観るべきと思ってはいるものの、少しでも内容が気にならないと観る気が起きないので持て余してしまっていると感じる。
人におすすめされて観るのは稀で、結局自分が観たいと思えないと絶対に観ないのが映画である。
ただ観るだけなのに何故こうも腰が重いのか。
映画を観る行為が僕にとっては高カロリーなことであると実感する。
また最近は全く触れていない趣味に、読書がある。
語彙量のためだったり表現する力を養ったりだったり、そんな理由で読み始めていたものだったこともあり、それが必要なくなってしまったタイミングで読書することもなくなった。
読書を習慣にしていた頃はネコが題材の小説や本を衝動買いしていた。
好きな作家ができて、その作家の小説を気に入って読んでもいた。
いまでも本は好きだが、なかなか読む気になれないのは元々小難しい本を読むのが好きではないし、本の雰囲気や引き込まれるきっかけが足りないからなのだろうか、と考えている。
好きだから趣味になるし、趣味とは自然と習慣的にしていることだろうと思われるので無理に何かを続けようとは思わない。
だから趣味と呼べるものがないのかもな、とも思う。
我が家にネコが来たならば、僕の趣味はネコと遊ぶことになるであろうと宣言し、今回の日記を終えることにする。
ゲームの記憶
僕がいちばん最初に遊んだゲームはポケモン緑だった。
これは僕の日記を読んでくれている人は知っていることであるが、改めて伝えておく。
子供の頃はとにかく夢中で暇さえあればゲーム、家に帰ったらゲーム、学校とご飯と風呂と寝る時間以外はほとんどゲーム三昧だった。
幼稚園時代はポケモンと、特にゼルダの伝説がマイブームで幼稚園児には大きくて手に持てなかった64のコントローラーを床に置いてアーケードゲームのような感じでプレイしていた。
今思い出すととても恥ずかしい話だが、幼稚園での発表会でリンクになりたいと保護者たちの目の前で夢を語っていた。
小さい頃は絵を描くのが好きで、リンクの絵を数えきれないほど描いていた覚えがある。
親戚の家で描いた大岩から走って逃げるリンクの絵は未だに薄らと記憶に残っている。
当時はまだネットが普及しておらず、攻略本がゲームのお供だったためそちらも数冊買ってもらっていたのだが、幼稚園児には難しい漢字が多く読み仮名を書いてもらっていた。
そのおかげか小学校に上がる頃には中学レベルの漢字くらいなら読み書きできるようになった。
頭が良いわけではないし、勉強も嫌いだったのでゲームという好きなもので自然と記憶したことによるものと思われる。
とにかくリンクがかっこよくて、憧れからよくダンボールでマスターソードとハイリアの盾を作ってひとりでゼルダの伝説ごっこをしていた。
思い出すと年相応に子供遊びしてたなと、少し他人事のように思う。
他のゲームについて、たまにある誕生日やクリスマスなんかのイベント事のプレゼントに1本ソフトを買ってもらい遊んでいた。
時のオカリナ、ムジュラ、スマブラ、カービィ、ドンキーコング、F-ZERO辺りに熱中していた。
64の世代が終わりGCになった頃、クリスマスプレゼントにGC本体とスマブラとピクミンをもらった。
あの頃のGCの進化には子供ながらにめちゃくちゃ感動したし、非常に革新的だった。
エアライド、ソニック、マリオサンシャイン、風のタクトは僕の小学校時代の思い出に色濃く残っている。
ソニックアドベンチャー2バトルではチャオと呼ばれるマスコットキャラを育成できるモードがあり、ドルフィンと名付けたチャオを転生させるまで育て上げるほどに心血を注いだ。
友達の家でいちばん遊んだのもGCだった。
ハイドラを完成させた友達にジェットスターでなんとか立ち向かったり、デビルランチャーでいちばんスコアが高い友達を狙い撃ちしたり、ホームランコンテストはガノンドロフの魔人拳でめちゃくちゃ飛ばせるのを実践してもらったり、思い出すだけでキリがない。
やはり昔のゲームが良かったと感じるのは、心の底から楽しんでいたからだと実感できる。
年齢だけ重ねてしまった今、無駄な気苦労や生活と仕事の重圧の息抜きにたまに遊ぶものになってしまっている。
ゲームをする環境や目的が昔と変わってしまったからあの頃よりも飽きが早いしやり続けられないんだろうと思った。
いずれゲームをすることもなくなっていくかもしれない。
ゲームをしなくなるなんて大人になっても絶対にあり得ないと思っていた当時の僕には、今の僕は見せたくないと思ってしまった。
目の輝きや気持ちの明るさを過程に置いてきてしまったけど、それでも惰性で生きていけるもんだ。
こんな僕にもきらきらした思い出があったのをここに書き納めておく。
哲学
今回は理解してもらえない話をする。
まず今見ている景色とはなにか?
もしこの記事を読んでいる人間がいるのなら手にスマホを持ち己の目で見ていることであろう。
目に映っているものが見えるとはどういうことだろう。
見るとは一体なんだろう。
スマホとは一体なんだろう。
文字が理解できる、意味も理解できる。
当たり前のようにできていることがなぜできるのか。
例えば歩くことも、どうやって歩いているか真剣に考えてみる。
脳が信号を送って足が動くという仕組みはわかっている。
その脳の信号を探ろうとする、歩けるし体が動くことについて深く深く考えてみる、と段々生きているとは何かを考えてしまう。
そもそも自分が生きていて見ている世界はなんだろう。
自分にも自分以外にも意思があると思い込んでいるけど、実は自分以外の人間に意思はないのかもしれない。
もしかしたら自分に意思があると思っている前提が違ってて、それすらないのかもしれない。
自分が今見ている世界の当たり前は自分だけのものかもしれない。
例えば僕は映画なんかでよく見るカプセルの中に入れられていて、頭上にはモニターがあって、何かしらの上位の存在が僕の世界を見ている。
他のカプセルに入れられた人間はまた別の世界を生きていて、それは僕の世界とは全く違う景色と当たり前でできている。
人間の形やそれ以外の生き物、無機物、あらゆる形のあるものがその形をしているのが当たり前に感じているけど実は違っていて。
他の世界では肌が緑で目が5つあって手足は1本ずつ、それが人間と呼ばれているかもしれない。
今僕が生きていると思い込んでいる世界は誰かに生きていると思わされているのだ。
そんなことを考えてしまい頭が割れそうになることがある。
生活が充実していたり忙しかったり、普通の暮らしを送っていればこんなことは考えないと思われる。
無駄な思考に耽ってしまい、自分で自分がわからなくなるのでいつもは考えないようにしている。
辛いときは意識を飛ばして自分のことを頭上ななめ45度くらいから見ているような気持ちで無理矢理体だけ動かす、というのが僕の現実逃避の方法であるが今までそれで乗り越えてこられた。
これからも何か嫌なことがあるたびに僕は意識を飛ばすんだろう。
もし上位の存在がいるのであれば、もう少し意識を飛ばしやすくしてくれるとうれしいと、ここに記すことによって伝えたいと思う。
ひとつお礼を言えるのなら、僕がいる世界にネコをつくってくれてありがとう、と言う。
僕の世界に生きているネコたちにどうか幸あれ。
飲み物
僕は少し偏食で、気に入ったものを食し続ける傾向にある。
今回は飲み物に絞ってその事について綴っていこうと思う。
まず思い浮かぶのがモンスターエナジーである。
エナジードリンクという性質上飲んだことがなかったり苦手な人もまま居るが。
子供の頃からその手のエナジードリンクの魅力はなんとなく知っており、何故かと言うならよくテレビでもレッドブルのCMが流れていたから。
一体どんな味がするんだと幼い頭で想像を膨らませていたが、飲んだこともないし飲み物でもないがガソリンの味がするとなんとなく思っていた。
自分で小遣いを稼ぐことができる年齢になったころ、この自由なお金で興味はあったが食べられなかった飲めなかったものを買ってやろうと思い立ち、そこにいたのがモンスターエナジーだった。
レッドブルじゃなくモンスターエナジーを選んだのは見た目と雰囲気、なんて適当な理由だ。
初めて飲むモンスターエナジーは少し緊張した気がする。
一度飲んだらあの強炭酸と甘さの虜になっていた。
それからというもの事あるごとにモンスターエナジーを飲むようになり、エナジードリンクの効果を求めるというよりも味が好きで飲み続けている。
エナジードリンクのレビューとコラムを執筆しているエナジーマンと名乗っているライターが居るのだが、読ませる記事、エナジードリンクへの愛を感じいつの間にか読者になってしまっていた。
彼の文章力とふざけながらもしっかりとした内容のエナジードリンクコラムはかなりおすすめしたいレビューだ。
そんな彼と同じように未知のエナジードリンクを見かけたら基本的には一度は飲んで味を確かめるのが小さな趣味で、モンスターエナジー以外のエナジードリンクもよく飲んでいる。
特にZONeは新しいフレーバーを頻繁に出しているので見かけたらとりあえず買って飲んでいる。
個人的によかったZONeは青と水色のデザインが気に入っているDEEP DIVEである。
エナジードリンクっぽさはなく、ヨーグルトフレーバーの炭酸ジュースとして楽しめる。
かなり気に入っていつもより高頻度で買って飲んではいたが、やはりモンスターエナジーが強すぎてあのケミカルな味を求めてしまうのは完全に中毒かもしれない。
朝出勤のときは欠かさずモンスターエナジーを飲んでから出勤していた。
もはや日課と呼べるほど飲んでいた時期もあった。
これは僕の中で一番と呼べる好きな飲み物だと言える。
モンスターエナジー程ではないが、気に入っておりよく飲むのが乳酸菌飲料である。
マミーやピルクル、ビックルなんてのもあるが中でもピルクルが特にお気に入り。
コンビニで紙パックのピルクルを買うのがお決まりの時期もあった。
僕はおなかが弱いのだが、ピルクルで乳酸菌を摂取する機会が多いにもかかわらずよく下しているので腸内環境の問題ではないと思われる。
次に挙げるならば喫茶店、カフェに行った際は決まってアイスティーを飲んでいた。
これもすこしこだわりがあり、無糖じゃないと嫌である。
コンビニに必ず売っているようなリプトンのレモンティーやミルクティーもそれはそれで好きだが、喫茶店みたいなお店では必ずアイスティーの無糖を注文するのが僕のお決まりだ。
最近はコーヒーに目覚め、気分や時間によってたコーヒーを注文することもある。
僕は暖かい飲み物があまり好みではないので真冬で寒かろうがアイスティーやアイスコーヒーを楽しんでいる。
余裕のある生活が今後できるなら自分で豆を挽いてコーヒーを嗜みたいと考えているが、洒落た店のコーヒーを飲む時間も優雅で良いものである。
僕が入眠に時間がかかるのはカフェインのせいかもしれないと思うようなラインナップだった。
他にもドクターペッパーやラムネなんかも好きだが今回はここまでにしておく。
カフェインが体内から出ていっている今のうちに寝ることとする。
ゲームボーイ
僕が小さい頃、流行していたのがゲームボーイで自然と親に買い与えられ初めて触れたゲーム機がゲームボーイであった。
厳密にはゲームボーイポケットというもので軽く小さく改良されたものであり、周りが持っていたのも大体ポケットだった気がしている。
僕が買ってもらったのが黄色のゲームボーイポケットで、おそらくピカチュウが好きでその色を選んだ記憶が微かに残っている。
当時はポケモンが大ブームと化し、ゲームとアニメはめちゃくちゃに盛り上がっていた。
初めて買ってもらったソフトがポケモンの緑で、幼いながらも毎日夢中になって遊んでいたのがとても懐かしい。
そんな幼少期を過ごしたのでゲームが大好きな子供に育ち、64とゲームキューブ、ゲームボーイアドバンスにはたくさんの思い出をもらった。
触れる機会が多かったこともあり、自然と任天堂のつくるキャラクターや世界に楽しませてもらって、今でもいちばん好きなゲーム会社になった。
特にカービィやゼルダの伝説やMOTHERはファンと自負しても恥ずかしくない程度に知識もある。
黄金の太陽とカスタムロボの続編は今でもひっそりと待ち望んでいる。
やはり子供時代に楽しんだものは今思い返してもすばらしいものだったと言えるもので、思い出補正という言葉もあるけども、良かった。
自然とゲームを遊ぶきっかけになったのはゲームボーイで、僕のゲームでの良い思い出の原点はそこから始まっていて、いつまでも僕の中で宝物になっている。
レトロゲームに関心や興味があるのはよほど当時のゲームのデザインや音楽に魅了されたのかと改めて思う。
ありがとう任天堂。
実家の押し入れにずっと眠っていた黄色のゲームボーイポケットを最近持って帰ってきたので、外側のシェルと呼ばれてるいわゆるガワを新しいものと交換してまた遊んでみようかなと画策している。
手先が器用か、となると少し微妙ではあるもののおもちゃいじりは好きなので趣味程度にゲームボーイの換装なんかができれば楽しそうである。
あの頃遊んでいたゲームを今もう一度楽しみたいなと、この歳になってから急に思い出したかのように最近考えていて。
これも歳を重ねるってことか、と適当に納得している。
ゲームボーイに手を加えられたら、また思い出話を書き記すこととする。