ゲームの記憶
僕がいちばん最初に遊んだゲームはポケモン緑だった。
これは僕の日記を読んでくれている人は知っていることであるが、改めて伝えておく。
子供の頃はとにかく夢中で暇さえあればゲーム、家に帰ったらゲーム、学校とご飯と風呂と寝る時間以外はほとんどゲーム三昧だった。
幼稚園時代はポケモンと、特にゼルダの伝説がマイブームで幼稚園児には大きくて手に持てなかった64のコントローラーを床に置いてアーケードゲームのような感じでプレイしていた。
今思い出すととても恥ずかしい話だが、幼稚園での発表会でリンクになりたいと保護者たちの目の前で夢を語っていた。
小さい頃は絵を描くのが好きで、リンクの絵を数えきれないほど描いていた覚えがある。
親戚の家で描いた大岩から走って逃げるリンクの絵は未だに薄らと記憶に残っている。
当時はまだネットが普及しておらず、攻略本がゲームのお供だったためそちらも数冊買ってもらっていたのだが、幼稚園児には難しい漢字が多く読み仮名を書いてもらっていた。
そのおかげか小学校に上がる頃には中学レベルの漢字くらいなら読み書きできるようになった。
頭が良いわけではないし、勉強も嫌いだったのでゲームという好きなもので自然と記憶したことによるものと思われる。
とにかくリンクがかっこよくて、憧れからよくダンボールでマスターソードとハイリアの盾を作ってひとりでゼルダの伝説ごっこをしていた。
思い出すと年相応に子供遊びしてたなと、少し他人事のように思う。
他のゲームについて、たまにある誕生日やクリスマスなんかのイベント事のプレゼントに1本ソフトを買ってもらい遊んでいた。
時のオカリナ、ムジュラ、スマブラ、カービィ、ドンキーコング、F-ZERO辺りに熱中していた。
64の世代が終わりGCになった頃、クリスマスプレゼントにGC本体とスマブラとピクミンをもらった。
あの頃のGCの進化には子供ながらにめちゃくちゃ感動したし、非常に革新的だった。
エアライド、ソニック、マリオサンシャイン、風のタクトは僕の小学校時代の思い出に色濃く残っている。
ソニックアドベンチャー2バトルではチャオと呼ばれるマスコットキャラを育成できるモードがあり、ドルフィンと名付けたチャオを転生させるまで育て上げるほどに心血を注いだ。
友達の家でいちばん遊んだのもGCだった。
ハイドラを完成させた友達にジェットスターでなんとか立ち向かったり、デビルランチャーでいちばんスコアが高い友達を狙い撃ちしたり、ホームランコンテストはガノンドロフの魔人拳でめちゃくちゃ飛ばせるのを実践してもらったり、思い出すだけでキリがない。
やはり昔のゲームが良かったと感じるのは、心の底から楽しんでいたからだと実感できる。
年齢だけ重ねてしまった今、無駄な気苦労や生活と仕事の重圧の息抜きにたまに遊ぶものになってしまっている。
ゲームをする環境や目的が昔と変わってしまったからあの頃よりも飽きが早いしやり続けられないんだろうと思った。
いずれゲームをすることもなくなっていくかもしれない。
ゲームをしなくなるなんて大人になっても絶対にあり得ないと思っていた当時の僕には、今の僕は見せたくないと思ってしまった。
目の輝きや気持ちの明るさを過程に置いてきてしまったけど、それでも惰性で生きていけるもんだ。
こんな僕にもきらきらした思い出があったのをここに書き納めておく。